和菓子の素材(2)大豆のお話

執筆者: 木ノ下 千栄(きのした ちえ)

 昔は大豆のことを「万米(まめ)」と呼んだり、「大豆(おおまめ)」と呼んだりしたので、豆といえば大豆をさす歴史を持っています。中国では五穀(米・麦・粟・きび)の一つとして、数千年も前から栽培されてきました。古く大豆を「シュク(外字:草かんむりの下に叔と書く)」、小豆を「荅(とう)」と表して区別されていて、紀元前5世紀の『詩経』のなかの詩にも大豆の生長の盛んな様子が謳われています。また、紀元前1世紀の中国の農書『氾勝之書(はんしょうししょ)』には大豆の出芽の様子が記述されています。6世紀の農書『斎民要術(さいみんようじゅつ)』には、すでに大豆の加工法や発酵食品の作り方まで記載されています。

 大豆が朝鮮を経由してわが国に伝わるのは弥生時代初期といわれています。当時の食べ方は煮豆や炒り豆といった食用が主でしたが、奈良時代に入ると味噌やしょうゆの原流とされる穀醤(こくびしお)として利用され始めました。大豆が国内で広く栽培されるようになるのは鎌倉期以降で、現在は豆腐、味噌、しょうゆ、納豆などの原料としても活用されています。菓子の材料としては、きな粉、州浜粉などに使われています。

 わが国では大豆は沖縄を除き、全国的に栽培されていますが、北海道、東北、関東、北陸、九州地方が主な産地です。一般的なものは「黄大豆」で、他に黒豆といわれる「黒大豆」や「青大豆」などもあります。大豆は「畑の肉」と呼ばれるほど栄養が豊富で、特に貴重なタンパク原として知られています。

◆きな粉
 きな粉は大豆を粉にしたもので、粉になった色の黄色からきな粉(黄な粉)と呼ばれてきました。古くから大豆の粉はありましたが、きな粉として一般化するのは江戸後期に入ってからになります。

◆洲浜粉
 大豆を焦げないように煎って、外皮を除き、それを砕いて粉末にしたものが洲浜粉です。青大豆を用いた青洲浜粉もあり、砕いた粉の色の程度から、きな粉、洲浜粉、豆落雁粉というふうに分別されます。粉末のため、消化によく、香味があります。餅菓子、団子などのまぶし粉や、洲浜の材料に用いられます。

◆大徳寺納豆
 大徳寺納豆は、中国より禅僧によって伝えられたといわれ、古くから寺院の厨房で作られ「寺納豆」を呼ばれていました。いわゆる糸引きの納豆でなく、塩辛納豆です。保存食として発達し、黒褐色の味噌に似た風味がします。その独特の塩味を生かした菓子が作られています。
 ⇒大徳寺納豆を使ったお菓子・・・「茶寿器」(洲浜団子の中に大徳寺納豆が入っています)

◆黒豆
 黒豆は黒大豆ともいい、平安時代には既に栽培されていました。丹波地方で採れる丹波黒大豆は優れたものとして特に有名です。正月用の煮豆にするほかに、菓子材料として使われています。

 

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