◆密かに伝わる幻の伝説「大仏七不思議」
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東山区・豊国神社周辺で昔から密かに語られているのが、
「大仏七不思議」とよばれる伝説です。 |
この伝説のことを知ったきっかけは、実はさる土地を購入した時なのでした。土地の過去を知る、ご近所の方がふと、
「ここは昔、大仏七不思議の『五右衛門の井戸』があった場所なんよ」
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1つ目の「烏寺」 |
とおっしゃったのです。
「大仏七不思議」?「五右衛門」? 何のこと…? という感じでした。
調べてみると、「大仏七不思議」とは、もう今では書籍にはほとんどその名さえ、記されていない幻の伝説だということを知りました。(近所の方は「五右衛門の井戸」がここ、とおっしゃいましたが、人によっては違っていたりして、有力説の1つと考えた方がよさそうです。)
ちなみに、「大仏七不思議」というのは、昔、豊国神社に豊臣秀吉が作った巨大な大仏に由来しているのですが、七不思議は大仏自体の不思議7つではなく、豊国神社周辺を「大仏正面」ということからも、この地域のことを示す言葉として残っているのだと解されます。
では、その七不思議とは一体何なのでしょう??地元の物知りのお年寄りやお寺の住職さんなどに聞き取りをし、次の7つが判明しました。
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2つ目の「大仏餅の看板」、3つ目の
井戸もこのあたりにあったそう。
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まず1つ目は「烏寺のカラス」。旅のお坊さんが松の梢で話す2羽の烏と出会うお話です。
2つ目は「大仏餅の看板」。当寺、「大仏餅」と看板を掲げた和菓子屋さんがあったそうで、たいそう繁盛していたそうです。写真のあたりにあったとされています。詳しくは別編でご紹介します。「甘春堂の大仏餅はこちら」
3つ目は「石川五右衛門の井戸」。このあたりから伏見城へと抜ける地下道があったとされていて、五右衛門はその井戸から伏見へ行き来していたとの伝説があります。
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ほどこしの窓はこのあたりだったとか。 |
4つ目は「石川五右衛門のほどこしの窓」。
このあたりに石川五右衛門の二号さん(?)が住んでいて、蔵の東窓のタテ格子から、貧しい人たちへのほどこしの金銭がばら撒かれていたとか。その蔵を解体したときに、砕けた千両箱が出てきたといわれています。
5つ目は「淀君の幽霊」。
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方広寺に残っている有名な国家安康の鐘が、豊臣家滅亡への引き金になった歴史は有名です。鐘の裏側には、白い女の人のような模様が浮き出ており、鐘をつこうと思ってもつけない…。無念のため成仏できない淀君の幽霊だといわれています。 |
三ツ屋根とされるあたり。
甘春堂東店が見えています。
三ツ棟と伝わる付近 |
6つ目は、「3ツ屋根」
7つ目は、「3ツ棟(むね)」。
ある奥様のお話では、写真のあたりにあったんですよ、とおっしゃっていました。ちょっと「あ、これのこと?」と思えるような屋根の形が残ってますねぇ??? こんなのだったのかな?
ちなみに、三ツ屋根とされる場所は、甘春堂東店のすぐ近くらしい・・・。
・・・とこのように伝えられています。書物で残っているわけではありませんので、異説があるかも知れません。「方広寺の七不思議」と紹介されるものもあり、少し内容は違いますが、「大仏七不思議」と一部重複しているものがあります。また、怪異・妖怪伝承データベースでは上記の他に、「耳塚」「そば喰地蔵」とされています。
ほとんどの跡がすでに建て替えられていたりして、残っていないそうですが、現在、ここあたりだったと伝えられる場所を探してみました。
これらは、地域的にも甘春堂東店のすぐ周辺です。お近くにお立ち寄りの際は歴史ロマンに胸ふくらませて、ぜひ伝説の場所をチェックしてみてくださいね!
史跡案内:東山区豊国神社周辺 東山区正面通本町)
※甘春堂東店すぐ近く
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